気になる書評17

日本の肖像画を紐解く視点が面白そう。

肖像画の時代?中世形成期における絵画の思想的深層 [著]伊藤大輔

■似絵・僧侶像の従来説に挑戦

 定説に疑問をぶつけることは勇気を要する冒険だ。勇敢な本書は、「昔の日本に肖像画がなかったのは、リアルに描かれた自分の顔が呪詛(じゅそ)に使われるのを恐れたからである」という定説に挑戦する。大冒険に向かう高揚感を敢(あ)えて抑えた著者の文章には自信が仄(ほの)見え、「呪詛防止」という定説が気に入っている評者に懼(おそ)れを抱かせたが、読後、この心配は別のかたちで解消され、改めて日本の肖像画史に興味が湧いた。
 まず、昔の日本にも肖像画がたくさんあったことを、落書きから似絵(にせえ)まで多数の事例で解き明かす。事実、運慶の彫った菩薩(ぼさつ)立像の迫力ある貌(かお)など、仏師たちがあれだけできた写実的な容貌(ようぼう)を、絵師が描けなかったはずはないのだ。しかも、日本人は呪詛を恐れる以上の執着をもって、亡くなった人や恋しい人の「似姿」すなわち「代替物」を欲しがった。
 それが形見や遺髪ならばリアルな代替物だが、姿を写した絵や立像なら「肖似性(しょうじせい)」を持つイメージの代替物となる。まさに愛は呪詛を超えていたというべきか。
 それでも平安貴族は、肖像画を描かれるのを忌避した。著者はこれに対しても、似顔絵が批判や風刺に使われ、相手の「醜さ」を表現するときにだけそのリアルさが活用された結果だと説明する。リアルな肖像画は指名手配書の写真も同然だったのであり、逆にいえば、相手を褒める美人画なんて真の肖像画ではないという、刺激的な展開になる。
 しかし、著者が日本の肖像画を主題にしたのには、もっと大きな目的があった。鎌倉時代に僧侶の肖像画が起こした変革、とりわけ樹上で座禅を組む明恵上人の肖像画の意味を読み解くことだ。この絵の目新しさや異様性を持ち上げる従来説を一通り潰してから、ゆるりと自説を開陳する著者の筆法がここでも冴(さ)えて、なかなかに小気味よい力作だ。
    ◇
名古屋大学出版会・6930円

朝日新聞 2012.219掲載書評より

気になる書評16

寒ーい毎日。外出もおっくう。こんな時は、少し重いテーマの本をじっくり読んで過ごすのもいい。

●隔離の文学?ハンセン病療養所の自己表現史 [著]荒井裕樹

■文学への衝動生んだ葛藤

 かつてハンセン病は一等国には相応(ふさわ)しくない「国辱病」とされ、後進性の象徴として隔離・撲滅が図られた。その中で綴(つづ)られた患者たちの「自己表現としての文学」に著者は注目する。
 ハンセン病患者は優生思想に基づいて「断種」を強いられた。戦前は「国家への忠義」として、戦後はかわいそうな子供を作らないという「人間回復」の名のもとに、生命への暴力は進められた。著者によれば、患者たちは、この優生思想に自発的に服従していった。彼らは自己の存在を否定することを使命と感じ、その使命への献身が喜びとなる「屈曲した自己認識」を抱いた。彼らが紡いだ文学には、狂おしい使命感がにじみ出る。
 しかし、屈折した喜びには、底のない悲しみが同居した。彼らは過酷な葛藤を抱えながら、私的な感情を隠喩的に吐露した。そこには政治に回収されない文学への衝動が存在した。隔離政策の過酷な軌跡をたどると共に、文学の本質を問い返す重厚な一冊。
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書肆アルス

朝日新聞 2012.1.29掲載書評より

気になる書評15

怪奇と幻想のあやしい世界を描く江戸川乱歩。うーん、興味深い!

●乱歩彷徨?なぜ読み継がれるのか [著]紀田順一郎

■創造と人生の闇、謎鮮やかに

 一人の芸術家の華々しい誕生と、その後の芸術寿命を襲う老化現象と葛藤しながらの創造と人生のはざまで、苦闘と苦悶(くもん)を続けながら芸術家として成功し、存続、発展を遂げるか、それとも失敗に終わり、滅亡するかの命運を賭ける芸術家江戸川乱歩を著者は徹底的に、見事に活写してみせてくれるが、芸術を生業にしている者の一人として本書を読む時、自身の運命を重ねながら思わず背筋を走るひんやりとした戦慄(せんりつ)を覚える。
 冬の真夜中、月光に照らされた銀座通りをガックリ、ガックリと夢遊病者のように歩く機械仕掛けの怪人はギリギリと歯車の音を立てながら近づいてくる――。そんな冒頭シーンで始まる「青銅の魔人」の怪奇的幻想世界に心を奪われた中学時代から、ああ、いまだに一歩も抜け出せずにいる僕が、自分の創作活動とは無縁ではないように思えるのはたぶん、僕の中の停滞した時間の表象であるような気がするのだ。
 乱歩の「純粋な探偵小説」(佐藤春夫)は松本清張のようなあり方とは対照的に、社会的現実に対して無関心を貫くことで個としての現実世界を構築し、非思想的且(か)つ「趣味」的世界を展開するが、これこそ乱歩作品の根底を形成するものであると本書では述べられる。
 それにしてもデビュー作の「二銭銅貨」から「押絵(おしえ)と旅する男」までの7年間の作品は乱歩の代表作であり傑作揃(ぞろ)いである。だけどそれ以後は名声は高まるものの不作に乱歩はあえぐ。加齢と共に円熟時代を迎える芸術家に対し、乱歩の芸術寿命は次第に枯渇していくが、このことは創造者なら誰もが抱える切実な問題である。
 著者は明智探偵に勝るとも劣らず、乱歩の創造と人生の闇の森に容赦なく分け入りながら人間乱歩の謎を鮮やかに解き明かしてくれる。この書自体が一編の探偵小説に思えるのだった。
    ◇
 春風社・2000円/

朝日新聞 2012.1.15掲載書評より

気になる書評14

今年第一弾もやっぱりミステリーから。

●吸血鬼と精神分析 [著]笠井潔

■戦後思想を問う本格ミステリ

 バスティーユにある要塞(ようさい)のようなアパルトマンで、ルーマニアからの亡命者が惨殺される。床に残された“DRAC”の血文字。本格ミステリにふさわしい導入部からは予想もつかない、思想と論理の迷宮が幕を開ける。
 本作は「矢吹駆(かける)シリーズ」の最新刊だ。70年代のパリを舞台に、ヒロイン・ナディアが事件に巻き込まれ、矢吹の“本質直感”が推理する。本シリーズで作者は、ミステリの形式で戦後思想を批判的に問うという複雑なミッションを着実に深化させている。精神分析を扱った本作は連載の初期から注目していたが、十年越しの試みは、みごとな果実をもたらした。
 ただし補助線は必要だろう。本作で俎上(そじょう)に載せられるのは、思想としてのラカン精神分析だ。シリーズ第四作『哲学者の密室』に実存主義哲学者ハルバッハ(=ハイデガー)が登場したように、本作で“暗躍”するのはジャック・シャブロル(=ジャック・ラカン)である。冷徹なまでの洞察力と典雅な趣味を併せ持ちながら、必ずしも高潔でも道徳的でもなかった分析家ラカン。本作で彼はレクター博士を思わせる魅力的な鬼畜キャラクターとして蘇(よみがえ)った。
 もともと精神分析は、ミステリとは相性が悪い。90年代を席巻したサイコサスペンスは、ミステリ界にトラウマのインフレーションをもたらしたが、その図式性には鼻白む思いがした。ミステリに必要なのは心理ではなく論理なのだという私の確信を、本作は見事に裏付けてくれている。
 本作におけるもう一つの挑戦は、いわゆる「多重人格」をもたらす「解離」のメカニズムに、精神分析の側から迫ることだ。解離と殺人をめぐる思考は、震災後の日本において(低線量被曝〈ひばく〉などの影響で)確率化された「死」という問題に重ねられる。その意味で本作には、ミステリと精神分析の新たな可能性すら示唆されている。
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 光文社・2625円/

朝日新聞 2012.1.8掲載書評より 

気になる書評13

思い出の食事や忘れられない味。確かに、食は人生の様々なシーンの記憶と重なっている。

●あつあつを召し上がれ [著]小川糸

人生の曲がり角に、食の情景

 孤食や欠食が話題になる世の中だ。誰とも言葉を交わさず、目はテレビ画面に向けたまま、そそくさとコンビニ弁当で腹を満たす風景は珍しくない。でもどんな人にも、おいしかった食べものの記憶はあるはず。この本には、いつか一人になることがあるとしてもずっと心に残り続けるような、誰かと共に過ごした食卓の思い出が描かれている。
 手の込んだ料理である必要はない。みそ汁やかき氷にも、その人なりの思い入れがある。亡くなった肉親が、こよなく愛していた料理もある。会えなくなってからも甦(よみがえ)る、特別な味の記憶。新しく家族になる人と思い出の味を共有するために、小さな店に晩餐(ばんさん)の席を設ける若者がいる。別れの儀式のような旅行で、豪華な食卓を囲むカップルもいる。丁寧な調理の過程が、故人を偲(しの)びつつ語られることもある。本に収められたさまざまな食の光景が、人生の曲がり角と重なっていて面白い。読むほどに、食欲と感動が湧いてくる短編集だ。
新潮社・1365円

朝日新聞 2011.12.4 掲載書評より

気になる書評12

我が家の愛犬は、女王陛下と同じウェルシュコーギー。犬好きとしては、タイトルだけ見ても、読まないわけにはいかない一冊。

●それでもイギリス人は犬が好き?女王陛下からならず者まで [著]飯田操

■残虐な娯楽の反動で動物愛護

 非常にユニークな「犬の本」だ。冒頭で、2003年の暮れ、エリザベス女王の愛犬がアン王女に飼われていたブルテリアに咬(か)まれて深手を負い、安楽死となった話が紹介される。以降、各単元の枕には犬への虐待行為や悲劇が語られ、犬好きで動物愛護の先進国とされたイギリスのイメージを根底から覆す。
 実際、歴史を繙(ひもと)けば、イギリスは決して犬たちの楽園ではなかった。この国では17世紀ごろまで動物いじめを娯楽にする風俗があり、熊や牛に犬をけしかけて楽しむ「熊攻め」や「牛攻め」が行われていた。ブルドッグという品種が牛攻め用に改良されたというように。
 また猟犬では、匂いでなく目視によって獲物を追いかける快速犬グレイハウンドやキツネ狩りに適したフォックスハウンドなども改良され、貴族は猟犬が獲物を攻める光景を馬上から見て楽しんだ。本来はこれを「スポーツ」と呼んだのだ。さらに闘犬やレース犬も改良され、民間賭博の花形となった。
 しかし、この残虐な習慣が存在したからこそ18世紀以降に倫理的な批判が盛り上がったというべきだろう。本書の読みどころもそこにある。
 獲物が激減し狩猟が衰退するなかで猟犬のペット化が図られ、賭博に用いる犬の飼育も民間で大流行するのだが、19世紀にはいっても受難は続く。狂犬病が流行するからだ。咬みつく犬への恐怖が急激にひろまり、貧困層による犬の放し飼いが指弾される。
 本書は、「それでも」イギリス人が犬を愛した理由を探る。飲酒や賭博で身を持ち崩す労働者を立ち直らせる手本として「忠実な犬」を描く文学が生まれ、『フランダースの犬』など名作が書かれ、ついに動物愛護法が誕生するまでの矛盾に満ちた経緯は、社会史としても興味深い。ついでに犬と人間のダークな関係が現在なお生き延びていることをも告発している。
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 ミネルヴァ書房・2940円

気になる書評11

犬と一緒に暮らす者としては、物語に犬が登場するというだけで惹かれてしまうのです。かくして、この一冊も。

エドガー・ソーテル物語 [著]デイヴィッド・ロブレスキー 
金原瑞人訳、NHK出版

■五感動員し味わう小説の醍醐味

 アメリカ中西部を舞台とした少年と犬の物語……と思いきや、物語はいきなり釜山(プサン)の不気味な漢方薬局の場面から幕を開ける。謎めいた漢方医の予言的な言葉にひきこまれた瞬間、あなたはすでに物語の魔法にかかっている。持ち重りのする七〇〇ページ余りの本とともに暮らす、幸福な日々がはじまるだろう。
 エドガー・ソーテルは口がきけない少年だ。手話は巧みで辞書なみに語彙(ごい)は豊富だ。ソーテル犬の育成を生業とする父ガー、母トゥルーディ、エドガーとともに育った雌犬アーモンディンら犬たちの幸福な生活に、叔父クロードという不穏な闖入者(ちんにゅうしゃ)が入りこむ。そして物語は動き出す。
 デビュー作とは信じがたいほど手堅い細部と悠然たる筆致。作家自身が認めるとおり、物語のベースはシェークスピアの戯曲「ハムレット」だ。二つの悲劇にはいくつもの共通点がある。クロードとクローディアス、トゥルーディとガートルード、母を奪う叔父、父の亡霊、毒殺と復讐(ふくしゅう)のモチーフ、などなど。
 圧倒的なアメリカの大自然が、家出した少年の孤独と葛藤を研ぎ澄ます。運命の選択を巡るハムレットの苦悩は、「自分の未来を知りたければ、代わりに人生を差し出すしかない」というエドガーの思いとして変奏されるだろう。
 よく訓練され、人間に忠実な犬たちの無言の思いが、この壮大な悲劇に彩りを添える。物語のライトモチーフに、あの“忠犬”が登場するという、日本人には嬉(うれ)しい驚きもある。
 エドガーの手話による犬たちとの“会話”こそは、本書における最大の「発明」だろう。言葉を介した会話よりも、はるかに直接的なコミュニケーション。もちろん犬は擬人化されない。それはエドガーの沈黙を介して犬にまで共感が及ぶという、人称を越えた体験なのだ。五感を総動員して文字を味わうという、小説の醍醐味(だいごみ)がここにある。